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紫苑

埼玉県鴻巣市の古民家カフェ紫苑へようこそ。築150年の古民家を活かしたイベント/厳選したコーヒー豆を焙煎した美味しいコーヒーをお届けしております。どうぞほっと一息付つきに、お越しくださいませ。

Archives for 11月 2016

ごちそうさま

父は三十代から糖尿病を患っています。

決して太っているわけでなく、

当時の仕事の激務とストレスからで、

一時期はインシュリン注射を自分で打っていました。

薬剤師という仕事柄、

食事制限と節制の甲斐があって、

八十八歳になる今でも

副作用もなく、元気に暮らしています。

 

父が糖尿病になってからは特に、

我が家は、

夜、外食に出かけることはありませんでした。

苦し紛れに(のように聞こえました)

「帰るときになんだかさびしいからだ」と

父は言っていました。

母は、

「たまには外で食べて楽をさせてもらいたい」

と、よく不満を口にしていました。

確かに女性はそう思いますよ。

 

でも、そのおかげで私は、

毎晩母の美味しいご飯を食べて育ちました。

 

決して特別凝った料理ではありませんが、

「美味しい」料理でした。

煮物、酢の物、天ぷら、漬物…

全てが手作りで色とりどり。

そして…

量も多い。

「たくさん作らないと美味しくない」

というのが母の持論で、

この後誰かお客さんでも来るの?と聞きたいくらい

テーブルにはたくさんの料理が載りました。

その影響か、

私もついつい作りすぎて、

息子から「多いよ!」と言われています。

たくさん作らないと、足らないときに困るから。

これも、母の、そして、私の持論です(笑)

 

先日帰省した時に、息子が

「お母さんの料理で一番美味しかったのは、

コロッケだよ」と言いました。

私はハンバーグだと思っていたので

意外だと言うと、

「ジャガイモがゴロゴロザクザクしていたのが良かった」

のだそうです(笑)

でも、正直ホッとしました。

私はてっきり、

「お母さんよりおばあさんの料理」と言われると

覚悟していたので。

そう言うと、

そりゃ、おばあさんの料理は美味いよ、と

言い始めたので、聞かないようにしていました(笑)

 

私が子どもの頃、

私はいつも「お腹すいたー」と帰ってきたらしく、

「またウチの腹減り虫が帰ってきた」と

母によく言われました。

そのくせ、そんなに量を食べるわけでもなく、

すぐに「お腹いっぱい〜〜」と言っては、

「もうお腹いっぱいなの?」と言われていました。

懐かしい思い出です。

 

今でも、我が家はほとんど家族で外食はしません。

もちろん、父が外で食べられるものが

限られているということもありますが、

ウチで飲んで、食べて、喋り倒して、

ひっくり返って(笑)片付けて寝ます。

せっかく息子が京都にいるというのに、

たまに私が京都に行っても、

一日くらいは外でお酒を飲みますが、

後の日は「今夜は僕が作るよ」というように

私と交互に台所に立ちます。

 

食文化に詳しいわけでもなければ、

決してこだわりがあるわけでもなく、

味付けも適当で、

毎回味が違うと父に言われてますが、

でも、みんなで食卓を囲んで、

「ごちそうさま」って言うのは

やっぱり幸せです。

 

美味しいご飯を食べられること。

 

私の元気の源です。

アー、色気がないなあ。

 

 

 

 

 

Filed Under: ダイアリー

祖父のこと

今夜は寒いからね・・・と言いながら、父と二人で日本酒を頂く昨今。

飲みながら、よく最近話すこと。

私の祖父のこと。

 

紫苑のお客様と我が家の庭園の話になると、ほぼ毎回話すことがあります。

群馬の鬼石から棟梁を呼び寄せ、機械が壊れるくらいの大きな石を買い

二日がかりで庭園を造って、いざ支払いとなったら、

「あとは頼む」と、父に払わせた祖父。

まあ、一般的には褒められた祖父ではありません。

 

私が生まれる8年前、一代抜きの待望の跡取りとして兄が生まれました。

娘二人の祖父は、それはそれは喜び、自転車で近所中に

男の孫が生まれたことを触れ回ったとか。

まあ、その後「涙が出るほど」かわいがったとは、母の後日談。

「あんまり過保護にしないで!」と母が叱ると、

「だってかわいいんだから仕方がない」と本気で泣いたそうです。

実は、それから2~3年後、母は、二人目を身ごもりました。

ところが、二人目がいたら兄に目が行き届かないから、と祖父が言ったとか。

母は産むことをあきらめました。

そのことを私が知ったのは、母が亡くなる1ヶ月くらい前のことでした。

その子どもは、男の子だったようでした。

 

もともと女の子が欲しかった母は、

薬剤師の父のアドバイスもあり、生み分けをすることにしました。

このままだといけない・・・という母の危機感だったと思います。

体内を酸性にするため、ひたすらトマトを食べ続け、執念が実り、

母は私を産みました。

面白くなかった祖父は、「女の子どもなんか見たくもない」と当時のお産婆さんに食ってかかり、

お産婆さんに、逆に説教される始末。

それもあって、生後2週間、見向きもしなかったそうです。

母に泣かれ、やっとおもちゃを一つ買ってきた祖父。

帽子をかぶった人形が付いているガラガラだったそうですが、

その帽子が取れていることに気づき、なんと私の口の中に入っていて大騒ぎ。

その事件後、少しずつ祖父は私に対する態度が変わっていったそうです。

 

我が家は代々飲んべぇで、私の曽祖父は、

「おれが死んでから、仏壇に酒を供えなかったら仏壇を揺るがす」と脅したそうです。

祖父ももちろん酒好きで、毎日毎夜、フラスコみたいな透明の徳利で

4合は軽く飲んでました。

つまみは、近くのお豆腐屋さんから毎日祖母が買ってきて湯豆腐にし、

鰹節を削るか、青海苔をかけて食べました。

母が作る、卵とほうれん草のおじやも絶品で、

祖父が晩酌をし始めると私はいつも、祖父の膝の上に乗り、パクパクと食べていたそうです。

「おれが食べる分がなくなるよ」と言いながら、うれしそうだったと母が後に話していました。

 

それでも、やはり祖父は普通のおじいちゃんではありませんでした。

よそに女性がいたのです。

ずいぶん後になって、兄がそこに連れていかれた話をすると、

「あんなにかわいがっていた孫を、女のところに連れていくなんて!」

すでにそのとき祖父は亡くなっていましたが、母はかなり立腹していました。

女性がいるだけではなく、祖父はあちこちで問題を起こしては、

非難されると怒鳴り散らし、挙句の果てには孤立していきました。

母は、そんな祖父を毛嫌いしていました。

特に、思春期だった頃、よそに女の人がいることが許せなかったようでした。

それは、仕方のないことだと、今も思います。

 

でも、祖父は私にはとても優しく、一度も怒られたことはありません。

いつもほろ酔い加減で、「れいこちゃん」を「じーこたん」と言い、

相変わらず、私の口に湯豆腐をふうふうしてほおりこんでいました。

 

そんな祖父がよく言ってたことを、ひとつだけ覚えています。

 

「おれは『結構人(けっこうじん)』にはならない」

 

嫌われたっていい。はい、それで結構、という人にはならないということです。

「じーこたんは、そんな人にはなるんじゃない」と毎晩聞かされていました。

だから、こんなになっちゃったのかな(笑)

 

それでも、祖父は無類の世話好きでした。

全力でひとの世話をして、でも、結局から回りして、

みんなに、家族に迷惑かけて、あんまり感謝されずにひとりで怒っていました。

でも、おそらく祖父のおかげで、教師になった人は相当数いたはずです。

だって、最後は自分の娘を辞めさせて、他の人を採用したくらいですから。

考えられません(笑)

母は、好きな教師を辞めさせられて泣いたそうです。

 

 

「あんたは、おじいちゃんによく似てる」

母が私をなじるときは決まってそう言いました。

学生時代など、人並みに彼氏ができると、そう言っていました。

私はいたって普通だと思いましたが、「男ができると人が変わる」と非難され、

すべてを祖父に結び付けました。

 

「うちには、そういう人間はあんたとおじいちゃんだけ」

 

でも、今思いますけどね。

「結構人」は、私も嫌いです。

何でも手控えて、「このくらいで」と手を打つのも、

やっぱりできません。

良いと思ったら、言います。

良くないと思ったら、言います。

それで、後で潔くあやまります。

もちろん悪いと思った時、限定です。

 

と、今夜もお酒の勢いを借りて息巻いてたら、父に言われました。

 

「やっぱり、豊(とよ)さん(祖父)に似てるのかねぇ」

 

 

 

 

 

Filed Under: ダイアリー

紫苑を始めて・・・大学時代の先輩のお話

紫苑を始めて2年が過ぎました。

ここ数ヶ月は、本当にうれしいことばかりが続きました。

 

紫苑を始めてからは、ずっと「人とのつながり」が続き、

どんどんお知り合いが増えてゆき、

正直、どうしていいのかわからないときもありましたが、

それはなんともありがたいことでもありました。

その反面、始めて半年は、苦しいこともありました。

自分の浅はかな行動を責め続け、この仕事は向いてないのではないかと

思い悩むこともありました。

でも、すべての経験が自分を強くし、自分を見つめなおす、

そんな機会を与えてくれた場が「紫苑」です。

「受け入れること」「寛容になること」「自分の意思を通すこと」「待つこと」

どれも相反することのようで、でも「紫苑」を続けるには必要で。

 

それを、紫苑にいらっしゃるお客様や、アーティストさんたちが

自然に教えてくださった気がいたします。

何より、ひとと繋がることがどんなにか楽しいことか。

 

そのことを教えてくれたある先輩のお話。

 

高校生の時、私は、あまり学校が好きではありませんでした。

私は、実はその頃まで「能面」と言われたくらい、表情の乏しい子だったのです。

そんな私が大学生になり、入ったサークルで、ある先輩と出会いました。

その先輩は2歳上の3年生の女性です。

昨日まで田舎の女子高生だった私には、

とにかく衝撃でした。

 

彼女は、一般的には「美人」というわけでもなかったのですが、

彼女がいるだけで、サークルの雰囲気が変わりました。

「春のようなひと」でした。

名前も「やよいさん」でしたから。

サークルのどんな変わり者の先輩も、OBも、

おそらく彼女のことが大好きだったと思います。

私の代は、近年にはなく多くの新入生が入会しました。

上下関係が厳しく、無理難題を後輩に振る、

古い体質のサークルでしたので、

どんどん新入生の女の子が辞めていく中、

私は、ほぼ毎日サークルの部屋に通っていた「不思議ちゃん」でした。

男の先輩たちのギスギスした感じの中、

彼女の行動を見つめることが大好きでした。

どんな人たちにも、さらりとかわし、

いやな感じを残さない。

どうしたら、あんなひとになれるんだろう。

そしていつしか、「私もあんなふうになりたい・・・」と

思うようになりました。

 

そして、彼女が4年生になり、就職がほぼ決まりかけた頃、

彼女が続けていたバイトの後釜に、私が入ることになりました。

 

「大学の最寄駅のすぐそばだし、目指してる就職先に近いでしょ。

それに、サークルも、バイトも、私の後をお願いしたいの」

彼女はそう言ってくれました。

その日、初めて二人でワインを飲みました。

彼女はあまりお酒が強くなくて、飯田橋の駅のホームから落ちそうになって

ヒヤッとしたこと、

当時、彼女が付き合っていた彼とうまくいってなかったので、

「私が先輩の力になります」なんて言ったら、

「それは無理だから」とかわされて、がっかりしたことも、

その場面もはっきりと覚えています。

みんなが私を苗字で呼ぶ中、彼女だけは名前でちゃん付けで呼んでくれました。

今も不思議と名前で呼ばれることが多く、

違和感なくいられるのも、そのときの名残かもしれません。

彼女との関係は、彼女が就職してからも続き、

彼女の就職先で、バイトしたこともあります。

しかしその後、彼女と同期で、私もすごく尊敬していた

当時のサークルの代表が、就職して1年で、過労死のため亡くなりました。

それから、だんだん彼女とは疎遠になってしまいました。

 

その後、私は就職し、

そこはほとんど男性ばかりの職場でした。

そこで私は、やはり彼女のような「春のようなひと」には

なれなかったと思いますが、

「能面」では決してなかったと思っています。

あの頃の職場の方たちといまだに繋がり、

助けて頂いています。

そして、おそらくあの頃から、

そして今も、あの時の先輩が心の中にあります。

 

2周年を記念して、

スピキュールさんに、

ホームページと映像を作成していただきました。

映像には、私を模した女性が出てきます。

その女性を作るとき、

「小林さんは目がいつも笑っていますからね・・・」と

言っていただき、とても恥ずかしいような、

うれしいような気持ちになりました。

「能面は卒業したかな」

是非、映像もご覧ください。

「紫苑」のfacebookでご覧になれます。

最後は、宣伝で失礼いたしました (笑)

Filed Under: ダイアリー

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