小林家の歴史
小林家は、明治以前、家督相続者は代々「小林仲右ヱ門」を名乗る。
菩提寺は、真言宗智山派 智積院を総本山とする金乗寺である。
金乗寺の先代住職によれば、明治以前八代続く地主であり、
家紋も、智積院、金乗寺が「桔梗」であるのに対し、
「丸に桔梗」であるところからも、その重責を担っていたことがわかる。
金乗寺で現存している過去帳によれば、最古のもので、
「天明九年四月 小林仲右ヱ門死去」との記載がある。今から230年ほど前のことである。
それ以前のことは、金乗寺も火災に遭っており、不明である。
小林家も、明治初年(1868年もしくは1869年)に火災に遭い、母屋が全焼。
算段師により下忍(しもうし)村より、現母屋を移築。火災跡が母屋に隣接している蔵の瓦にその跡が残存している。
蔵は、小林家第九代当主德次郎(1843(天保13)年~1922(大正11)年)により建立。
德次郎の年齢から換算すると、江戸末期と考えられる。
日本庭園は、十一代当主豊秋(1906(明治39)年~1971(昭和46)年)
現当主邦喜(1928(昭和3)年~)が、群馬県鬼石の庭師により鬼石の三婆石を運搬し造園。
蔵の東側には、樹齢100年以上(推定)のケヤキがある。
小林家南側にある土手より、位置関係の目印とされていた。